発売された時代を考慮した上でのレビュー。
関連記事:「1996年発売のRPG」としてのポケットモンスター
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- 「敵として登場するモンスターを仲間に出来る」RPG自体は前例があった。ポケモンが特徴的だったのは以下のポイント。
- すべてのモンスターを仲間にできる
- 敵専用キャラがいない。ラスボスですら汎用キャラである。
- どのモンスターも最後まで連れていける
- 例えば『女神転生』シリーズでは合体の素材として消費するという要素が強い。『ドラゴンクエスト5』では、成長限界によって一部を除いて、特定のモンスターを最後まで連れ歩く前提のバランスにはなっていない。
- 大量のモンスターを仲間にできる
- 200匹以上のモンスターを仲間にできる。これは当時としては「馬鹿げた」と言っても良いレベル。
- 30匹ごとにボックスが分かれていて不便という声もあろうが、技術的にやむを得ない処理である(一時メモリの容量が限られるので、セーブデータ領域と交互に使用するテクニック)。
- 普通に遊ぶだけなら過剰ともいえるストック数だが、通信プレイを前提とすれば話は変わってくる。
- 余談だが、後発のポケモン類似ゲームはこの点を理解しきれていないものが少なくなかったように思われる。従来のRPG感覚では「多すぎ」どころではないストレージがあってこそ通信プレイを遊び倒せるのである(対戦や交換用のポケモンをまとめたり、あるいは通信でもらったポケモンを保管したり)。
- まず、キャラ自身と技の属性がはっきりと示されているのは当時としては珍しい。
- そもそもキャラ自体に属性がついているという例が稀有。
- 一般的には「炎に弱い」「氷に強い」といった、属性ごとの耐性データが個別に用意されているのが普通。
- しかし本作の場合、まず属性自体に優劣関係があり、それに基づいてダメージが計算される。
- 「炎」「氷」「電気」などのエレメント系と、「草」「虫」「ドラゴン」などの形態や種族に基づく属性が並列で扱われている。
- いわゆる御三家が「草・炎・水」という組み合わせ。そもそも「草属性」なるものが存在するゲームはポケモン以前に思いつかない。
- 五行としての「木」に属するものはあっても、魔法系統ではなくダメージ計算に使われる属性として扱われる例は知らない。
- いわゆる御三家が「草・炎・水」という組み合わせ。そもそも「草属性」なるものが存在するゲームはポケモン以前に思いつかない。
- いわゆる「無属性」とは似て非なる「ノーマルタイプ」の存在。
- 捕獲することで属性を確認できる。たとえパーティに加えなくても属性を知ることで、後で敵として戦う場合に弱点を把握できるという仕組み。
- 当時のRPGでは、属性はマスクパラメータであることが多かった。
- ポケモンは4つしか技を覚えられず、5つ目を覚えた時にどれかを忘れさせるか、5つ目の技を諦める必要がある。
- RPGとしては割と掟破り。自力習得できる技は全て残せるか、あるいは自由に再習得や付替えができるのが普通だった。
- 当時のプレイヤーの感想としても、技についての不満を訴える声は大きかった記憶がある。特に既存のRPGプレイヤーからは。
- 技マシンで覚える技を除けば、基本的に忘れた技を再習得する手段はない。
- 技の思い出しは、ポケモンスタジアム金銀が初である。
- 技の効果についての説明が不足している点も含めて、初代ポケモンの明確な欠点と指摘できる部分である。
- 一般的なRPGにおいて、「冒険に出る理由」というのは「何らかの問題を解決するため」である。
- 大ざっぱにいえば「世界を救う」ような物語がよく用いられる。
- 一見当たり前のように見えるのだが、この手のストーリーはゲームとして致命的な矛盾を抱えている。
- 主人公の立場としては「問題」を解決しなければならない。
- 一方、プレイヤーの立場としては「問題」こそ冒険の理由であり、積極的に求めるべきもの。
- 主人公の立場としては世界を安定させなければならないが、プレイヤーとしては安定した世界を壊してもらわないとゲームにならないというジレンマである。
- 『ポケモン』の場合、「世界を救う」ことをゲームの目的から切り離した。ポケモンを探すための冒険そのものが目的となる。
- 成り行きで悪の組織と戦ったりはするが、フラグ上はともかく世界設定上の役割としては必ずしも主人公がやらなければならない仕事というわけではない。
- あるいは、積極的に戦うこと自体すらも「ポケモンを育てる」という名目のもとに正当化可能である。
- 主人公が好戦的ではないのに、ゲームの物語やシステムの都合で戦いまくらなければならないゲームはやってて辛い。
- 一般に「ポケモン以前のRPGには無かった本作の画期的な要素」とされがちだが誤りである。
- ポケモンが従来の通信対応ゲームと違ったのは、前述のように「普通にゲームをクリアする上では明らかに過剰なキャラ保存ストレージ」の存在が第一。ポケモン図鑑は動機づけの補助要素に過ぎないと思う。
- ポケモン以降の類似ゲームは通信対戦にアンティ要素を取り入れた例が目立つ(メダロット、DQMなど)のだが、これは誤ったゲームデザインだと思う。
- RPG(もっと言えば、経験値や資金でキャラを育てるタイプのゲーム)の通信対戦は、弱者(進行の遅いプレイヤー)にとってはそれを行う時点でプレイ時間を奪われることになる。
- よって敗北側にシステム上のペナルティを設定した場合は二重の不利益を被ることになる。場合によっては二度と対戦なんかやりたくなくなるだろう。
- 初代に限らずメインシリーズで一貫しているのだが、パッケージイラストに主人公が描かれないゲームというのはかなり異例ではなかろうか。
- ポケモンと同じような客層を狙った(大ざっぱに言えば、いわゆるコロコロコミック系とか)ゲームでは、大抵は主人公の少年キャラがパッケージを飾っている。
- 対象層へのアピール効果はあるかも知れないが、女の子はもちろん、多少なりとも背伸びしたい男の子が手に取るのを躊躇してしまいそうだ。
- しかも前例のない2バージョン同時発売である。各バージョンで共通する「主人公」を表に出さなかったのはかなりの英断ではないか。
- プレイヤー層が『ポケモン』に近くてパッケージに人間キャラがいないゲームとして、例としてはずっと後発となるが『妖怪ウォッチ』がある。しかしシリーズを代表する妖怪である「ジバニャン」が常にパッケージの目立つところにいる。
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